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2010年 09月 16日
2010年4月6日のブログでAITを紹介致しました。第2次大戦後アメリカがマーシャルプランを推進し、そのもとで東南アジア条約機構(SEATO)を立ち上げ、その活動の一環として「アジアの若者をわざわざ先進国へ留学させないでも、アジアの中で高度な教育を提供できる大学を作る」という方針のもとに設立された大学です。
当初アジアのいくつかの国が手を挙げましたが、最終的にタイのバンコクに設立することに決定し、タイ政府がアジア工科大学院大学法という特別の法律を施行し、バンコク郊外42Kmの地に広大な(びっくりするほど広い)土地を用意してスタートしました。米、日、仏、独、英をはじめ先進14カ国が資金を提供し、人材を派遣して運営しており、アジア21カ国から学生が集まっています。 キャンパスの中には、ショッピングセンター、クリニック、9ホールのゴルフ場、ホテル、図書館(ホテルと図書館は日本が寄附)等があり、治外法権地区です。クリニックには、待合室に色々な毒ヘビの標本がならべてあり、びっくりしましたが、「キャンパスの中で(あるいは外でも)蛇にかまれたら、その蛇をつかまえて持って来い。もしつかまえそこねても、その蛇をじっくり見て、この標本の中からこの蛇にかまれたと示しなさい。血清がそれぞれにちがうから」ということでした。納得しました。 家族と共にバンコクに住み(子供達は日本人学校に通うので)、朝6時50分発のスタッフバスで通勤し、8:00から授業開始、14:30終了、スタッフバスで帰宅、という毎日でした。 私は計画数理(Planning Mathematics)を担当していましたが、授業についていけない学生も若干居て、時々キャンパス内のホテルに泊まって特訓をしました。 パプアニューギニアから来たMr.タンラブニは特に苦労し、何度か特訓しましたが、その彼が卒業後パプアニューギニアに帰国して大学の教授になっているという手紙をもらった時は、びっくり仰天しました。 学生たちを連れて、タイ国内さらには色々な国へフィールドサーベイに行きOn the field trainningをやりました。 1982年6月頃にスリランカで、コロンボから同国の最南端ゴール市を越えて南東海岸のハンバントータ村(先日の津波で大きな被害を受けました)で、10日間農村開発プロジェクト実習をやりました。森の中を野生の象が歩いていたり、小さな美しい池(現地ではタンクと云っていました)があって、私が近づこうとすると現地の人から「わにがいるから近づくな」と云われてびっくりするなど色々経験しました。 タイへ帰る時にコロンボで買物をしました。当時スリランカでは、生活改善、地域住民協働による地域振興等を内容とするサルボダヤムーブメントという活動が盛んで、農村ではみんなが木工細工や織物、食品加工等の農閑期における収入確保のための活動にがんばっていました。そのような活動の成果(生産物)がコロンボのお店で売られていました。 しかしこのお店が公営で、販売しているのは公務員でした。その結果、農村の皆さんの汗の結晶、貴重な収入の糧となる商品が無造作にうず高く積まれ、ほこりすらかぶっていました。 何とかして商品をひとつでも多く売り込みたいという熱意や、商品展示の工夫が感じられませんでした。公務員ですので商品が売れても売れなくても彼等の収入は変わらないということでしょうか?折角の生活改善、家計の改善を目ざす村人たちの努力が、かんじんの出口のところでつまってしまっている状況を見て、「やっぱり商売は公務員がやるとダメなんだなあ」とこの時も実感致しました。
by himeji-mayor
| 2010-09-16 08:30
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