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2012年 11月 22日
先日、姫路市、姫路市議会、姫路商工会議所、姫路経営者協会、姫路市連合自治会、婦人会、老人クラブ連合会、姫路市医師会など各種団体が発起人になり、河合寸翁顕彰会を設立しました。
姫路藩家老の河合隼之助(寸翁、道臣(明和4年(1767)~天保12年(1841))は、酒井忠以(ただざね)、忠道(ただみち)、忠実(ただみつ)、忠学(ただのり)の四代の藩主に仕え、姫路藩の財政再建に辣腕をふるい、文化、教育の振興にも力を入れた名家老であります。 江戸時代後期の姫路藩は、他の藩同様に財政危機に陥り、歳入の四倍以上の累積債務(73万両)を抱えていました。そこで、道臣は質素倹約令を布いて出費を抑制させる一方、領内各地に固寧倉(こねいそう)を設け、農民を救済し、藩治に努めました。また同時に、姫路木綿や塩、皮革を専売制とし、商品取引による藩の収入を確保し、藩の負債完済を成し遂げました。 さらに、道臣は藩の経済的窮乏の遠因は、人そのものにあったのではないかと考え、自ら学問所を設置し、若者の教育に乗り出しました。それが、市川東岸の仁寿山麓にある仁寿山校です。現在も、井戸跡や土塀跡が残っています。全国から優秀な講師を招聘し(頼山陽も招聘された講師の一人です。)、実際に役立つ実学こそ重要であるとの実学の精神により、真に世の役に立つ人材の育成に力を注ぎました。 現下の社会経済情勢は、長引く不況が続き、先行きが見通せないなど、社会不安が広がっています。このような時にこそ、ふるさと姫路の幕政末期に現れた傑出した人物である河合寸翁の人と生き様を知ることで、これからのふるさと姫路のまちづくりの一つの指標にしたいと考えています。寸翁の実学の精神を再び評価し顕彰する機運が盛り上がっていることを喜んでいます。
by himeji-mayor
| 2012-11-22 16:55
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