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2014年 03月 25日
このたび、姫路日仏協会会長(前獨協大学准教授)白井智子先生から、フランスで誕生し、「絆」と命名されたバラが姫路市へ寄贈されました。白井先生による、このバラにまつわるお話を全文紹介します。
『技師レオン・シスレーは、生野に居住し、1873年(明治6年)明治政府に雇用され、生野鉱山(朝来市)と飾磨港(姫路市)を結ぶ産業道路「銀の馬車道」を設計・建築しました。シスレーは、出身地リヨンで園芸家として活躍し様々な園芸・農業関連の雑誌の発行に携わっていた自分の父親であるジャン・シスレーに生野から日本のノイバラの種を送りました。この種は、ジャン・シスレーの友人で、リヨンのバラ育種の名家ギヨー氏に渡り、ギヨー氏はその種をフランス向けに改良し、別のバラを産出、そのバラはリヨンを中心としてフランス中に広まっていきました。この度フランスにおいて当時のフランスの園芸雑誌や農業雑誌をフランス国立図書館やリヨンの公文書館などで精査したところ、レオン・シスレーの生野からの手紙やジャン・シスレー自身による解説文が掲載された雑誌をいくつか発見し、そこにはこの「日本のバラが生野から送られてきたこと」や「日本のバラの遺伝子を持つバラが生まれたこと」が記されていました。 その上、シスレーは、「銀の馬車道」の築道時にフランス語の通訳として活躍した高島得三(後の高島北海)が政府の命でフランス留学した時に父親(ジャン・シスレー)を紹介し、高島も当時の園芸雑誌に日本のバラを紹介する記事を寄稿していました。これは、「銀の馬車道」とバラを通した日仏交流が明治初期から既に行われていたことを示す興味深い事実です。 私(白井)とこのシスレーのバラとの出会いは、調査・研究に赴いたシスレーの出身地リヨンにおいてでした。生野銀山フランス人技師の他、シスレーのバラや当時の園芸雑誌を調査するためにリヨンを訪れ、在リヨン日本総領事館に調査協力を求めたところ、リヨンに本部を置く「フランス・オールドローズ協会」を紹介された。協会の会長や会員と面談し、日本に帰国したバラの話を聞きました。 バラの誕生の経緯は次の通りです。 「フランス・オールドローズ協会」のメンバーは東北の大震災に心を痛め、被災した人々のために何かできなかと考え、日本の会員と相談し、日本のために新種のバラを作り提供しようということになりました。そのバラの育種の使命を帯びたのはシスレーのバラをフランスに広めたギヨー氏の玄孫に当たりマルセイユ在住のバラの育種家ドミニク・マサド氏で、氏はシスレーのバラの子孫から新たなバラを作り出しました。そして、この福島のために作られたバラは「絆"KIZUNA”」と命名されました。 マサド氏は、東北復興を祈り、このバラの栽培・販売権利を自分のバラの日本の販売代理人であり愛媛でバラ栽培園を営む友人に託しました。現在、日本ではNPO法人「日仏チャリティーローズ「絆」」が設立され、マサド氏から寄贈されたバラ販売の利益の一部を義捐金として被災地に送られています。 私は、リヨンにおいてフランス・オールドローズ協会会長より上記の説明を受け、さらに「絆」の生みの親、マサド氏を紹介され、マルセイユで氏に対面し、「"KIZUNA”」や東北復興への思いを聞いてきました。 フランスオールド・ローズ協会会長やマサド氏に、自分が住んでいる播磨地方にはシスレーが築道した馬車道があり、現在シスレーや馬車道について研究をしていることを説明し、「ぜひシスレーのバラを馬車道に里帰りさせてやり、また播磨や但馬の人々に「"KIZUNA”」のことを知らせたい」と伝えると、私の研究やシスレーに対する思いに感動され、前述の日本のマサド氏のバラ(ドミニクローズ)販売人でNPO法人の名本氏やNPO法人理事長の森氏を紹介されました。 上記二名に私の思いを伝えると、先月末、「白井さんの研究と活動を応援するためにもぜひ「"KIZUNA”」をプレゼントしたい」とシスレーのバラを計15鉢贈呈されました。 これまで知られていなかった馬車道とフランス・リヨンを結ぶ興味深い史実を発見したことに喜び、さらに、19世紀半ばから今日まで「馬車道」と「バラ」を通して続いていた播磨・但馬とフランスとの親密な友情、交流に思いを巡らし、両者の不思議な縁とロマン溢れるシスレーのバラ「絆"KIZUNA”」のストーリーに心打たれた私は、この素晴らしいストーリーと150年もの時を超えて生野のバラが里帰りし、今のなお日仏の絆が続いていることを多くの人に知って頂きたいと願い、プレゼントされたシスレーのバラを「銀の馬車道」関連地に寄贈することを決意しました。 震災3周年の2014年3月11日に、「シスレーの里帰り」の第一歩として、また、被災地の復興を祈願して、中播磨県民局のご協力の下、馬車道修築碑のあるミニパークと福崎町のハートフルガーデンに植栽しました。私の夢が実現して大変喜んでいます。 今後、馬車道が通っていた姫路市内にも「シスレーのバラ」を里帰りさせ、姫路市民の皆さんにも馬車道に所縁のある日仏のバラを楽しんでいただきたいと考えています。 そして、このバラが、明治から続く「銀の馬車道」と姫路とフランスとの友好のシンボル、さらには、播磨地方から東北地方に捧げる復興祈願の象徴となることを切に願っています。 今後、シスレーが築道した「未来遺産・銀の馬車道」には素敵な歴史と日仏友好のロマンが詰まっていることを人々に伝え続け、日仏交流が今後一層深まるよう努めていきたいと考えています。』 以上のような経緯で、シスレーのバラ9鉢が姫路市へ寄贈されました。 姫路市は、世界文化遺産を有し、文化芸術の面でもこれから更なるレベルアップを進める必要があります。文化芸術の国フランスとの友好は姫路市にとって非常に意義のあることであり、姫路港(飾磨港)を拠点とする「銀の馬車道」にこのような心暖まるエピソードがあることを知って大変喜んでおります。姫路市としては、頂いたバラの一部を、県知事へ「県が進めておられる『銀の馬車道』事業」への感謝を込めてお届けします。また姫路市では、古い歴史が刻まれた日仏友好のシンボルとしてキャッスルガーデンと飾磨港へ植える予定です。なお、シスレーはかの有名な「画家シスレー」の一族であることも白井先生によって確認されています。
by himeji-mayor
| 2014-03-25 14:00
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