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2014年 02月 24日
NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の放送が始まりました。その第1回の放送の中で、姫路広峰神社が紹介され、私達姫路市民にとって嬉しいかぎりでした。
最近、作家の童門冬二先生が「黒田官兵衛」を刊行されました。その中で「京都の八坂神社は、播磨の広峰神社から分社したものである。」と書かれています。常々、そのような指摘がよく聞かれましたので、今回、市職員の協力を得て、かなり丁寧に調べました。広峰神社と八坂神社の関係は大略次のようです。 (1)広峰神社と八坂神社の「本社」「末社」論争について ・両社とも創建時の一級資料を欠くため、本来どちらが「本社」でどちらが「末社」かを確定することは困難。 ・本社末社争いの傍ら、広峰社の信仰は広域にわたり、今の兵庫県内全域のほか鳥取・岡山全域、広島、福井、京都の一部にまで影響を及ぼしていた。 (2)平安期 ・9世紀中ごろには広峰に素戔嗚尊(スサノオノミコト)が祀られていた。 ・9世紀中ごろ、牛頭天王(ごずてんのう)を広峰から北白川に勧請し、その後八坂に遷す。(「祇園社略記」1690) ・10世紀後期に広峰社、現在地に遷る。 ・10世紀後期、祇園御霊会(祗園祭)始まる。 (3)鎌倉期~南北朝期 ・広峰社は、鎌倉時代を通して「祇園本社播磨国広峰社」を主張。(「鎌倉将軍源実朝御教書」1216) ・13世紀初頭から、鎌倉幕府は広峰社を「祇園本社」とする文書を何度も発行。南北朝期に編集された「峯相記」に祇園社は広峰社から勧請したとの記述。(「峯相記」1348) ・祇園社は鎌倉末期に「当社末社広峰社」と反論。 (4)14世紀初頭~中ごろ ・伏見上皇が広峰社を長日不断祈祷所として祇園社に寄進。これにより本社祇園社、末社広峰社という現実的な関係が形成される。(「伏見上皇院宣案」1311) ・14世紀中ごろ、北畠親房、祇園社は広峰社から遷座と記述。 (5)室町期 ・14世紀末に祇園社の支配に抵抗する広峰社社家の追放などがあり、祇園社の広峰社支配が確立。現実として本社は祇園社(八坂神社)・末社は広峰社(広峰神社)の関係が戦国時代まで続く。 (6)戦国期 ・15世紀には、広峰社は、なお祇園社からの独立回復を目指し、さまざまな抵抗を試みる。 ・15世紀中ごろ、吉田兼倶、祇園社の由来は広峰から北白川に勧請と記載。(「二十二社註式」1469) (7)江戸期 ・17世紀末、祇園社の由来に広峰社からの勧請の件が記載される。 ・18世紀末、祇園社、広峰社を元末社と記載。 以上のように、広峰神社と八坂神社は長い歴史の中で色々とやりとりがあったことが分かります。 この経緯に鑑み、どちらが本か末かはいったん棚上げし、長い歴史的な縁に結ばれた両神社は兄弟神社として仲良く交流し、共存共栄を図るしくみや工夫を考えていくことが得策であると考えます。 #
by himeji-mayor
| 2014-02-24 16:23
2014年 02月 05日
2月1日にひめじ防災プラザがリニューアルオープンしました。
ひめじ防災プラザは、本市の防災学習拠点としての役割を担うため、平成19年4月にオープンし、幼少年から高齢者まで、誰もが楽しみながら防災知識や技術が習得できる体験型学習施設として16万7千人もの方に来館していただきました。しかし、東日本大震災をはじめ、全国各地においても大規模な台風や豪雨などの自然災害による被害が続いています。また、本市においても近い将来発生すると予想されている南海トラフ巨大地震による影響や山崎断層帯を有していることから、これまでに増して住民による自主防災の重要性が指摘されており、ひめじ防災プラザの担う役割もより大きくなってくるものと考え、「地域防災力の更なる向上」と「将来の防災リーダーの育成」を目的に今回リニューアルしました。 リニューアルの概要は、一人でも立ち寄りやすい、明るく開放的なエントランススペースを設け、大型学習ディスプレイを増設するなど、防災情報ゾーンを充実したことと、新たに「ちびっこ消防士の消火体験コーナー」を新設するなど、防災体験ゾーンを充実したことです。 今回のリニューアルでは、リニューアルプラン策定検討委員会(委員長:木村兵庫県立大学准教授)にご尽力いただき、また、自主防災会、消防団などの意見も取り入れ、よりよい防災学習施設となったと考えております。一度ならず二度、三度来館していただき、常に防災意識を高揚していただけますよう期待しております。 これからも、本市の防火・防災体制の充実・強化に向けより一層努めて参ります。 #
by himeji-mayor
| 2014-02-05 17:00
2013年 12月 27日
姫路は、野球、サッカー、バレーボール、陸上競技、柔道などの競技スポーツ、障害者、高齢者、社会人スポーツなどがとても盛んです。姫路ゆかりの選手は世界でも数多く活躍されており、ロンドン五輪で活躍した方々には姫路市スポーツ功労賞をお贈りしました。
ロンドン五輪に続き11月のワールドグランドチャンピオンズカップでも銅メダルに輝いた眞鍋政義監督(姫路市出身)率いる全日本女子バレーボールチームの強化合宿が、9月末に姫路で行われました。私も激励に行きましたが、間近で競技する選手の姿を見て、その世界レベルの技術の凄さを実感したところです。2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは、姫路出身の選手たちが大いに活躍されることを楽しみにするとともに、今後、市として取り組むべきプロジェクトについて検討していきたいと思っています。 さて本市では、地域スポーツクラブやスポーツ少年団などによる市民の健康づくりを促進するため、総市民健康運動を長年にわたり展開してきました。また、平成18年の市町合併によって、マリンスポーツや登山などを楽しめる地域資源も加わりました。今後も各種のスポーツ大会や高齢者ウォーキングを開催するとともに、必要な施設整備も行い、スポーツを通して生活の質が高まるまちづくりを展開していきます。また、少年野球、サッカー、バレーボールなどの全国大会への出場を果たすなど多くの成果をあげてきており、一流の競技スポーツ選手が育つための環境整備にも取り組んでいきたいと考えています。 今年2月に網干区内に完成した西日本最大級の市立グラウンドゴルフ場では、次々と大きな大会が開催され高い評価をいただいております。また、来年3月には新しい姫路球場が完成し、こけら落としの試合を開催します。全国的な大会の誘致にも努め、少年野球をはじめ、これまで以上に大きな大会が開催される、播磨地域の野球の殿堂にしたいと考えています。さらに平成27年2月には、姫路城大天守保存修理事業の完成に先立ち、播磨地域で初のフルマラソン大会を開催します。現在、トップクラスのランナーに参加してもらえるような高いレベルの大会を目指して準備を進めており、全国から多くの参加があることを期待しています。 今後は、姉妹・友好都市との幅広いスポーツ交流を積極的に展開することで、新しい観光交流の機会を増やし、地域経済の活性化にも貢献していくことを期待しています。姉妹都市の松本市、鳥取市とは長年にわたりスポーツ・観光などの市民交流を深めておりますが、平成18年からは姫路藩主池田家の国替えの縁から岡山市とも新たに交流を重ねています。11月初めには、来年の大河ドラマ黒田官兵衛とゆかりが深い有岡城跡のある伊丹市と友好協定を締結し新たな交流も誓いました。さらに、姫路藩主酒井家の縁から前橋市長と市民の皆さんが来られ、姫路と歴史遺産を活かした交流の提案をいただいたところです。 従来からの力強いものづくり拠点都市の魅力に加えて、スポーツ・観光交流都市としての姫路に、より良い印象を持っていただき、国内外から多くの方々に何度も訪れてもらえるよう、世界文化遺産姫路城や新しい名所になりつつある姫路駅北駅前広場、サンクンガーデン等々、過去と現在が調和して発展し続ける都市を目指し、未来の市民に責任が持てるまちづくりを推進していきますので、引き続き皆様のお力添えを賜りますようよろしくお願いいたします。 #
by himeji-mayor
| 2013-12-27 16:55
2013年 12月 03日
先日、黒田官兵衛事業の一環として、姫路市と伊丹市が友好協定を締結し、その翌日に、官兵衛が有岡城に幽閉されていた折、獄中から眺めた藤の花に勇気づけられたという逸話にちなみ、姫路城内で採取した「藤の穂木」を伊丹市内のカリオン広場に植樹しました。
その穂木を育てたのが、伊丹市在住の苗木農家を営まれている久保弥三雄さんです。伊丹市は古くから苗木の産地として有名で、久保さんからお話を伺って分かったことですが、今から約50年前に久保弥三雄さんのお父様(久保繁雄さん)と姫路市とは、桜でつながっていたのです。 今から約50年前のことですが、当時の姫路市長(石見元秀市長)は、カトリック宗派淳心会本部を通じて、ベルギーのウエテレン市から多額の寄付を受けました。その寄付金により、戦災で家をなくした姫路市民のために「愛の家」を建設することができ、昭和33年12月25日のクリスマスの日にウエテレン市民代表として淳心会のスパー神父と石見元秀市長が出席し、「愛の家」の贈呈式が行われました。戦災で家をなくした姫路市民にとっては、素晴らしいクリスマスプレゼントになったそうです。そのお礼として、姫路市からウエテレン市に「姫山桜200本」を贈ることとなり、その桜の苗木を育てたのが、伊丹市の著名な苗木師である久保繁雄さんでした。今回、藤の穂木を育てていただいた久保弥三雄さんのお父様だったのです。 石見元秀市長は、久保繁雄さんが姫路市とウエテレン市との国際親善に貢献されたということで、昭和34年3月9日に感謝状を贈呈しました。 当時のさくらは、現在もベルギーのウエテレン市で現存しているそうです。 半世紀の時を超え、親子2代で、そして同じ立場で、都市と都市の友好交流の架け橋となる事業に携わることになり、何とも不思議な縁を感じました。こんな不思議なご縁に恵まれたことを心から感謝しています。伊丹市に植樹した藤の穂木が末永く姫路市と伊丹市の友好の証となるよう交流を続けていきたいと考えています。 #
by himeji-mayor
| 2013-12-03 10:05
2013年 11月 20日
先日、亀山石巻市長が姫路市を表敬訪問され謝意を述べられました。東日本大震災で最も甚大な被害を受けたのが石巻市でした。地震のあと8.6メートルの津波により多くの住民が被害を受け、今なお3万人もの皆さんが仮住まいで避難生活を余儀なくされています。宮城県石巻市の人口は、約15万人で、面積は姫路市とほぼ同じぐらいの555k㎡(姫路市534k㎡)で、その内73k㎡が浸水しました。また、震災前の人口が16万人ですから、いかに大きな災害だったかが想像できます。
姫路市は、震災直後から継続的に職員を派遣し、現在も長期(1年間)で3名の職員を石巻市に派遣し、復興支援を続けています。派遣職員は、多くのことを学び、またまじめで忍耐強い東北人魂を実感し、感動して帰ってきます。震災から復興までの期間、職員が現場で活動し、実感できたことは、山崎断層を有する姫路市の防災減災計画や実際に災害にあった時に必ず役にたつものと考えています。 復興にはまだまだ時間がかかりますが、これからも姫路市は息永く東北を応援し続けていきます。 #
by himeji-mayor
| 2013-11-20 08:45
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