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1 2012年 03月 30日
姫路ロータリーが平成4年に始められた「銀の馬車道サイクリングイベント」が、3月25日(日)にありました。生野から姫路市役所南の三宅公園まで約50kmを自転車で走るもので、私も大手前公園から市役所まで参加(キセル参加)するつもりで、やる気満々で待ち構えていたら、「予定変更のため三宅公園で出迎えてくれ」との非情な命令で、三宅公園に直行致しました。
「銀の馬車道」については多くの資料があり、前姫路獨協大学准教授の白井先生の研究報告等もまとめられていますので、それらを参照して下さい。 当時の最先端高速産業道路の沿線に現在2市3町が分布しております。この2市3町が銀の馬車道を軸として連携し、観光事業等を工夫して地域の振興を進めており、このサイクリングはそのひとつであります。 今、地域分権が叫ばれ、各基礎自治体は市町民への行政サービスの充実とそのための財源の確保、経済の振興等の困難な課題に取り組んでいます。 「広域連携」は、そのための有効な手段のひとつと考えられ、姫路市は播磨の中核市として、この地域連携を積極的に推進中です。消防・防災については早くから広域連携が進んでおり、播磨の市町の協同と助け合いの体系が整いつつあり、すでに実績もかなり挙がっています。医療についても現在広域的連携が一部実現しておりますが、今後さらに充実して参ります。教育については色々と議論があり、慎重に進めなければなりません。環境、特に廃棄物処理についても、広域連携を検討する段階に来ております。産業・雇用については早くから広域連携形態となっており、今後、地産地消をスローガンに農林漁業についても広域連携を発展させなければなりません。そして何よりも、播磨に豊富に存在する多様な観光資源を活用して、広域観光の体系を研究し、着実に実現していくことが重要な課題です。 このように見てくると播磨は、姫路を中心に各市町が重要な役割を担い、広域連携の体系を構築して、地域の振興と人々の生活の充実を増進するための条件は整っており、すでにかなりの部分で実現しているわけです。姫路市は形態にあまりこだわらず実質的な政令市の形態を目指しております。それは上記のような目的に加えて、もうひとつ目的があります。播磨は近畿といいつつも、近畿の最西端(far west =極西)に位置しており、国内や近畿、そして県内においてもあまり知名度が高くなく、色々な出来事や企画において、ともすれば忘れられかねない状況にあります。 播磨の市町が協力して、力をつけ、住み良い地域を形成し、その存在を全国に認めさせることが重要と考えています。 ▲
by himeji-mayor
| 2012-03-30 11:00
2012年 03月 27日
来年(平成25年)の3月31日から4月7日までの8日間、「播磨国総社第22回三つ山大祭」が開かれる。
播磨国総社は、射楯兵主神社に、養和元年(1181)に播磨国の大小明神が勧請され、播磨国の総氏神・総社としての性格を持った。今も本殿には播磨国16郡の大小明神174座が祀られている。なお、播磨国総社は、正式には「射楯兵主神社」といい、延歴6年(787年)に兵主神、射楯神が現在地近くに併せ祀られたもので、その兵主神は、欽明天皇25年(564年)に水尾山に鎮座されたのが始まりといわれている。大変古い歴史があるわけです。 三つ山大祭は、旧領主赤松晴政による式年制定以来、20年に1回開催され、400年を超える期間、一回も途絶えることなく継続されてきたといわれている。また、60年に一度開催の一つ山大祭も伝承されている。 この三つ山大祭・一つ山大祭は、非常に重要なお祭りで、兵庫県の重要無形民俗文化財に指定されている。期間中には、古式ゆかしい神事や演能、練り物行列等があり、歴史の重みを感じることができる。 一方、出雲では、三つ山大祭が60年に一度、一つ山大祭が20年に一度となっており(播磨の方式の裏返し)、宍粟市の伊和神社では、出雲方式でお祭りが催されている。要するに、この播磨地域は、出雲文化と伊勢文化の境目になっている。 古代出雲の国と大和の国の間で、世界に例を見ない平和的な無血の二国合併があったことが古事記にも記されており、両国の境界にある播磨の歴史を、お祭りや芸能、文化等に注目しながら探っていくことも大変興味深い仕事になると考えられる。 ▲
by himeji-mayor
| 2012-03-27 10:45
2012年 03月 23日
姫路城は奇蹟のお城です。姫路城は、重大な局面で奇跡的な幸運に恵まれ、今日まで残っています。
赤松貞範が1346年に姫山に砦を築いたのが姫路城のはじまりといわれています。その後、赤松氏の一族で御着城を居城とする有力者小寺政職のもとで、家老黒田職隆(黒田官兵衛の父)が姫山に小城を築き、ここで黒田官兵衛が生まれました。その後、官兵衛によって姫路城は羽柴秀吉にゆずり渡され、秀吉が三層の天守閣をもつ城を築きました。1600年関ヶ原の戦いで功績をあげた池田輝政が五層の天守閣をもつ連立天守方式の優美な姫路城を1609年に完成させました。 明治維新の時、姫路藩は佐幕派とみなされ、薩長を中心とする倒幕軍に攻撃されました。これは重大な危機で、倒幕軍は姫路城を砲撃しました。ただ大砲を撃ったのは、備前藩の兵士でした。池田家の子孫を藩主にあおぐ備前藩の藩士は、藩主の祖先である池田輝政の建てた城を砲撃することを躊躇したことと予想されます。幸いお城は塀と門の一部を損傷しただけで生き残りました。 第2の危機は、第2次世界大戦の連合軍による空爆です。姫路市は1945年7月3日の空爆で、市街地の70%以上が焼失しました。その焼け野原の中に、姫路城の天守閣が無傷で超然とそびえて、市民に元気を与えました。 大被害を発生した7月3日の空襲後、夜を徹して焼夷弾処理に走り回っていた鈴木頼恭小隊長は、翌日の朝、姫路城大天守最上階の床に100ポンド(約45kg)の焼夷弾がころがっているのを発見。窓から見上げると、軒端の瓦が四枚なくなっている。瓦をとばして窓からとび込んだらしい。信管が通常の物と異なるので処理の仕方が分からないまま鈴木さんがその焼夷弾を城外の広場までかつぎ出して、爆発させ無事処理できました。この第3の危機から免れたのは、本当に奇蹟的なことです。その焼夷弾が窓からとび込む時に、どこかにあたって爆発していれば天守閣は焼け落ちたはずです。また、窓からとび込んで床に着弾した時に、信管がきっちり働いて爆発していればやはり天守閣は焼け落ちたはずです。 まさに、奇蹟的な幸運に守られたお城です。受験生や海外旅行者等、幸運を祈る人は、姫路城にあやかれば大きな幸運に恵まれるはずです。まだ姫路城の幸運にあやかるお守りは作られていませんが、「白鷺の城」というお酒や「白鷺陣屋」、「五層もなか」等のお菓子がありますので、お試し下さい。 ▲
by himeji-mayor
| 2012-03-23 17:20
2012年 03月 15日
あの未曽有の東日本大震災で、約1万6千人の方々が亡くなられ、未だに3千人以上の方が行方不明になっています。まさに、我々国民全員で立ち向かうべき国難と言えます。
そのような中、「釜石の奇跡」という報道がよくメディアから流れてきます。「釜石の奇跡」とは、昨年3月11日に岩手県釜石市で実際にあった話です。それは、大地震後の大津波襲来時において、学校の管理下にあった小・中学生全員(小学生約2,000人、中学生約1,000人)が、適切な避難行動をとることによって、一人の犠牲者もだすことなく、大津波から生き残ることができたということです。ご承知のとおり、釜石市は、三陸沿岸部に位置し、市域は壊滅的な被害を受けた地域の一つであり、釜石市の死者・行方不明者は約1,300人にもなりました。人口が約4万人ですから、死者・行方不明者は少なくありませんでした。 約3,000人の小・中学生が適切避難行動をとることになった、その防災教育とは、一体どのようなものだったのでしょうか。 釜石市では、平成20年度に文部科学省の「防災教育支援モデル地域事業」に採択されて以来、市内の全小・中学校を対象に津波防災教育を推進してきました。 当時、文部科学大臣であった渡海紀三朗大臣は、かねてから防災教育の必要性を訴えており、大臣の指示で、釜石市のモデル事業が採択されました。大臣は建築、防災、科学技術、そして教育のスペシャリストであり、これまでの知識と経験に基づく大臣の先見性ある決断が釜石市の子供たちを救ったと言っても過言ではないと思います。 モデル事業により、津波防災教育プログラムを作成されたのが、釜石市の防災・危機管理アドバイザーを務められ、同市の小・中学生の津波防災教育を指導された片田敏孝教授(群馬大学大学院工学研究科社会環境デザイン工学専攻、広域首都圏防災研究センター長)です。教授の多くの防災研究を踏まえた成果と実践的指導とが効を奏したのです。現場の先生と子どもたちは、日頃の訓練により、迅速で落ち着いた主体的判断、避難行動が十分発揮できました。 「釜石の奇跡」とは、実は奇跡ではなく、日頃からの取り組みの成果が発揮できた当然の結果だと思います。 姫路市は、防災運動会まもりんピックや、実践的な津波避難訓練・避難所運営訓練などを実施しています。東南海、南海地震の大津波等の災害に対する備えをさらに充実して、姫路市民の安全・安心を確保して参ります。 ▲
by himeji-mayor
| 2012-03-15 16:39
2012年 03月 09日
東日本大震災から一年にあたり、被災された皆様に対して、深く哀悼の意を表しますとともに心からお悔み申し上げます。
この地震と津波でお亡くなりになられた方々とその家族、いまだ行方不明の方々のご家族の苦しみと悲しみの深さを思うと、今もって皆様におかけできる慰めの言葉が見当たりません。 地震と津波の第一報を聞き、報道の映像を見て、直ちに消防、保健、避難所の応援などのため職員を派遣いたしました。 その後、宮城県下第2位の人口の石巻市は、本市と縁ある企業の立地もあることなどを踏まえて、カウンターパートとしての支援をさらに拡充して継続することにいたしました。 昨年5月に石巻市を訪れた際に、市長を先頭に懸命に働く市職員や自衛隊員、ボランティアの皆さん、そして市民の皆さんのがんばりに心を打たれました。 派遣致しました職員の帰庁報告では、各職員とも、被害に立ち向かう東北の皆さんのがんばり、助け合い、そして本市職員への気配り等々、自分が被害を受けていながら相手を思いやる気高い心持ちと行動に感動しており、多くを学んでおります。 着実な復興のお役に立てるよう、これからも可能な限りの支援を続けさせていただきたいと考えています。瓦礫の処理をはじめ下水道や道路などの都市基盤の回復、住宅の再建、水産業の再興、地域経済の回復など本格的な復興がより確実に進むことをお祈り申し上げます。 ▲
by himeji-mayor
| 2012-03-09 16:15
2012年 03月 01日
昨年11月12日(土)、13日(日)の2日間、姫路城周辺で「第6回B級ご当地グルメの祭典!B-1グランプリin姫路」を開催しました。北は北海道、南は九州まで全国各地区の支部大会を勝ち抜いたまちおこし団体が一堂に集い、ご当地グルメによるまちの魅力を伝え、日本一を競いました。今回は大会史上最大の63団体が集まり、2日間で51万5千人の来場者が訪れ、まちおこしの熱気と食の魅力で大変盛り上がりました。
B-1グランプリは、単に地元の料理を売るのではなく、食を通して「まち」をPRし、地域活性化に繋げていくという「まちを売る」全国規模のイベントです。 今回の大会で、姫路市に5つの効果があったと考えています。 (1) B-1グランプリ史上最大の経済波及効果があった。 (2) 姫路市の知名度が上がった。 (3) 全国規模のイベントを安全に開催し成功させた実績ができたこと。 (4) 市職員がイベントを通して、ノウハウを蓄積できたこと。 (5) 多くのボランティアとのネットワークができたこと。 (1)の経済波及効果額は、約41億円と推計されました。(兵庫県立大学経済学部秋吉教授により算出) (2)の知名度については、160社のテレビ、新聞、雑誌、ラジオ等のマスコミ各社が取材に来られました。 (3)については、2日間の開催中、大きな事故等なく、また聞取りによるアンケート調査(当日4会場で調査実施)で、大変満足・満足が73%もあった。 (4)については、職員スタッフは、兵庫県職員及び姫路商工会議所職員を含め1,075人が参加した。 (5)については、大会運営スタッフとして、2日間で延べ2,721人がボランティアとして活動していただき、市内中学生、高校生、大学生、企業関係者及び各種団体の方々が、出展ブーススタッフや救護スタッフや清掃活動等にご尽力いただきました。1月末日にボランティアに参加していただいた中学生、高校生、企業の方々と意見交換会を行い、それぞれ感じたことや課題などについて、ご意見をいただきました。改善すべき課題もありましたが、多くのボランティアの方々と新しいネットワークの構築ができました。 以上のように、B-1グランプリを通して、姫路市が得たものは経済効果だけでなく、ボランティアとの新しいネットワークの構築が、今後の市政運営にプラスになるものと確信しております。ただし、一過性のイベントで終わらせるのではなく、人と人との繋がりを含め、この大会の精神を継続できるように務めていくことが、今後の課題であります。 ▲
by himeji-mayor
| 2012-03-01 17:20
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